悩みではなく、僕の人生経験に対する意見や感想がほしいだけ。適当に述べていく。
家族構成は、父親は公務員(地方)、母は専業主婦、僕は大卒ニート。
23年間の人生で代表的な出来事を書いていく。僕は嘘はつかない、実話である。

幼稚園・小学生時代→社会以外の成績は悪かった。学校でのいじめは少なかったが、家庭環境は不安定だった。原因は主に母親。家庭的要因で人格形成に悪影響を及ぼしたであろう。この時に僕は、飼い猫を虐待して、ストレス発散をした(高校まで続く)。

中学生時代→成績は良くもなく悪くもなく(体育だけ1を取った)。母の命令で、美術部へ入部させられた。中2になり、友人と険悪になり過激ないじめを受けた(暴力・暴言・悪口・陰口など)。担任と母親は対策を講じたが、効果なし。さらにいじめられる。家庭環境も不安定さを増し、母親に初めて抵抗し、もみ合いの喧嘩となる。それらが原因で何度も自殺未遂(首吊り)や不登校をした。そして、初めて精神科へ受診した。だが、服薬を拒否、主治医との関係も悪化(僕が「生活保護で暮らしたいから、そのための準備をしろ」と発言)したため、通院自己中断。この時から、ネット上で荒らし行為にふけるようになる(現在も継続中)。

高校時代→成績が体育以外、トップレベルになる(テストのたびに学年1位になり、表彰された。しかし、同級生との軋轢が激化した)。部活は帰宅部だった。高1のとき僕が、他の生徒と違う考えや価値観、特殊な趣味を持っていることが露見したり、体育、家庭科の授業で皆と同じことができないこと、言われたことができないなど学校生活で困ることが起きた(小学の時からその兆候はあった)。それらが原因でいじめを受けた(クラス全体にやられた)。担任が対策を講じ、少しはいじめが緩和された。しかし、いじめや家庭環境のストレスがたまりにたまり、僕の不満や憤りが爆発し、高2の時、偽計業務妨害罪で御用。結果は、警察に始末書を書かされ、訓戒(お説教)。家庭裁判所の調査官や裁判官から訓戒(お説教)。精神科は受診せず。これで、悪い事を辞められればよかったのだが、他人を傷づけることに快感を覚え、味を占めた僕は高3のとき、知人に対するストーカー行為及び脅迫行為で1か月の停学処分となり、大学推薦が取り消された(警察沙汰にはならず)。AO入試で合格した。そして、学年1位で卒業。

大学時代→法学部へ進学した。成績は入学当初から、優秀であると教授や大学から褒められた(しかし、成績優秀者として表彰はされなかった)。その一方で、やはり他人を傷づける快感が忘れられず、同級生や教授のラインを使用不能したり、事件を起こしてしまう(Twitterで複数人に対する名誉棄損・侮辱・脅迫・ストーカー・わいせつ)。結果は、警察に呼ばれ、始末書と訓戒(お説教)を受ける。そして、刑事さんから精神科を受診するよう勧告された(この時に受診しなかったので、後に大変なことになる)。停学や退学にはならなかった。3年の時に卒業要件の124単位を取得したので、4年のときは大学へ行かず引きこもりになる。その中で、「自分のやってきた犯罪はまだ軽い。もっとでかいことをして、日本史に名を刻みたい!」と思うようになる。そして、相模原で凶悪な事件が起き、その記事を見た僕は、「これだ、これしかない!計画を立てて、色々なことを・・・」と考え、それを両親や友人に自慢した。その結果、父親が保健所に通報し、僕は連行され精神科へ措置(強制)入院となった。入院中に親が、卒業証書を見せてくれて、卒業式に出たかったな・・・と後悔した。

現在→去年の春に退院し、通院治療へ(今は自己中断しているが)。親に就職を勧められ、福祉センターに相談。就労移行支援を利用した。しかし、施設側と折り合いが合わず、1か月で退所。その後、訪問指導を受けながら、引きこもりニート生活を謳歌。就職する意思は毛頭ない。生活費は、母親の年金と父親の給料。通院中、主治医に障害年金や生活保護について相談するも、「君は審査に通らないだろう」と一蹴。よって、お金や将来どうなるかを考えることを辞めて、今は自分の趣味を楽しんだり、犯罪(刑法違反)にならない荒らし行為の研究をして過ごしている。

以上、大雑把だが、僕の人生経験である。回答者に望むことは一つ。この人生をどう思ったかを書いてほしいだけ。意見、アドバイスを書くのは自由だが、履行はしない。なぜなら、今のライフスタイルを変える意思は無いからである。障害年金は諦めているが、生活保護はいつか必ず受給したい。これに向けて粉骨砕身しよう!